日本サッカーの原点、伝統と歴史が詰まったサッカー天皇杯

2017年9月6日

日本サッカーの原点、伝統と歴史が詰まったサッカー天皇杯

JFA(日本サッカー協会)が主催する「サッカー天皇杯」は1921年(大正5年)に始まったサッカー日本一を争う日本選手権大会で、JFAの第1種・第2種登録や日本フットボールリーグ(JFL)に登録しているチーム、条件付きでの都道府県代表チームは予選に参加することができる、日本最大のサッカーのオープントーナメントです。J1のチームが大学や都道府県の代表チームに予選で苦戦を強いられたり負けたりすることがあるのもオープントーナメントゆえのことで、「試合となれば何が起きるか分からない」というサッカーの醍醐味が予選から決勝まで続くトーナメント戦です。
なお、サッカー天皇杯は「Jリーグ(J1リーグ戦)」「Jリーグヤマザキナビスコカップ」と並ぶ、日本の国内3大タイトルの1つです。2013年度の第93回まで毎年元日に国立霞ヶ丘陸上競技場で行われていた決勝戦は、お正月の風物詩とも呼ばれていました。ここでは、この日本サッカーの三冠のひとつである「サッカー天皇杯」について、必須の知識から雑学までを幅広くご紹介します。

2014年は降格からJ1復帰のガンバ大阪が三冠を達成

国内のサッカーで最も注目されるのはやはりJ1リーグのチームの勝敗でしょう。Jリーグは日本のプロサッカーリーグであり、FIFAの全日本チームに選手として参加する大部分はJ1の選手です。J1のチームや選手には毎年、3冠を達成するための3つの大きな目標があります。それはリーグ戦での優勝(近年、前期と後期に分けられました)、ヤマザキナビスコカップ、そして今回取り上げているサッカー天皇杯です。
2014年の日本サッカーは非常にドラマチックで、無念のJ2降格から1年でJ1に復帰したばかりのガンバ大阪が、J1のすべての試合を驚異的な粘り強さで戦い続け、シーズン終盤には首位を守り続けていた浦和レッズをアウェイで下してJリーグ優勝を果たし、続けてヤマザキナビスコカップで優勝し、さらには天皇杯でも優勝して三冠を達成しました。J2降格からここまでの復活を遂げたのは、並々ならぬ努力の賜物でしょう。それまでに三冠を達成したのは2000年の鹿島アントラーズだけでしたから、この偉業の凄さが伝わると思います。

決して順調ではなかったサッカー天皇杯の歩み

サッカー天皇杯の歴史を紐解いてみると、はじまりから現在に至る過程ではさまざまな出来事があり、その歩みは決して順調ではないことが分かります。
第1回の天皇杯全日本サッカー選手権は、1921年に「ア式蹴球全國優勝競技會」の大会名で開催され、優勝チームに授与されたのは1919年にイングランドのフットボール・アソシエーション(FA)から日本に贈られた銀杯(FAカップ)でした。
この銀製トロフィーはその後も大会ごとにチャンピオンチームに与えられていましたが、第二次世界大戦末期の1945年に、金属不足のため強制供出され、現存していません。なお、1941年(昭和16年の第21回から1945年(昭和20年)の第25回大会は戦争のため中止されています。
時は変わり、1947年(昭和22年)4月3日の関東と関西の選抜チームによる「東西対抗試合」は、時の昭和天皇がご観覧され、翌年には宮内庁から栄えある天皇杯がJFAに寄贈されました。これを機に、天皇杯が1951年(昭和26年)の第31回から全日本選手権の優勝チームに授与されるようになり、大会名も現在の「天皇杯全日本サッカー選手権大会」へと変わったのです。
なお、別の動きとしては第52回(1972年度)から現在のようにオープントーナメント形式になったため、Jリーグ発足以後ではプロチームとアマチュアチームが同じ条件下で戦える唯一の大会になりました。さらに1996年の第76回からは大会参加の門戸が大幅に開放され、第2種登録チーム(高校生)も出場できるようになり、高校のサッカーチームとJリーグチームの対戦も実現しています。
ただし、この大会に出場できるのはシード出場チームと各都道府県代表47チームに限られていて、2014年の第94回では全88チームが出場しています。
ちなみに、試合形式は45分ハーフの計90分で、第76回(1996年)からはいわゆるVゴール方式の延長戦が採用されましたが、2005年の第85回からはこの方式は廃止され、延長戦の前後半15分ずつを最後まで行う方式とPK戦に変更され、現在に至っています。

サッカー天皇杯の優勝チーム名は、まるで年輪のような重み

第1回サッカー天皇杯は1921年(大正10年)に開催され、優勝したのは御影蹴球団を1-0で下した東京蹴球団です。このいかめしいチーム名はまさに日本のサッカーの始まりを象徴するかのようです。
その後は大学チームの優勝が多く、1960年(昭和35年)の第40回ではじめて実業団の古河電工が優勝しました。その後は力をつけてきた実業団チームの優勝が多くなり、Jリーグが発足した1993年(平成5年)の第73回では、横浜フリューゲルスが 6-2で 鹿島アントラーズを下して優勝しています。
なお1998年の第78回大会は2-1で横浜フリューゲルスが清水エスパルスを破り優勝しましたが、横浜フリューゲルスはこの決勝戦を最後に解散しました

その後の優勝チームはJ1の独壇場となっている感がありますが、少し変わったところでは、2011年の第91回は、[FC東京]4-2[京都サンガF.C.]で、これは大会史上初のJ2同士の決勝戦です。また、2014年の第94回はガンバ大阪が3-1で モンテディオ山形を下して優勝しましたが、決勝戦が元日以外の開催であることと、会場が日産スタジアムで、決勝戦がJ1チームとJチーム2というのも珍しいことです。
たとえJ1のリーグチャンピオンと言えども手にすることが難しいタイトルがサッカー天皇杯なので、今後も面白い対決が見られることでしょう。