サッカーにおける背番号10番の意味と歴史

2017年9月6日

サッカーにおける背番号10番の意味と歴史


サッカーでは背番号10番を背負うことに、特別な意味があります。

サッカーは各チーム11人の選手で試合を行います。
そして、各選手のユニフォームにはさまざまな背番号がつけられていますよね。
大抵の場合、ゴールキーパーは1番をつけていることが多いですが、それ以外のポジションの選手の番号はバラバラです。
一見、無秩序につられているように見える背番号の中でも、特別な意味を持つ番号があります。

それは「10番」。

例えばサッカー日本代表では、本田選手と香川選手のどちらが背番号10番を背負うかが大きな話題になりましたが、それだけチームにとって10番が特別な番号であり、重い意味を持つということです。

今回は、そんな背番号10番の意味と歴史について解説していきましょう。

■サッカーで背番号10番が持つ特別な意味

背番号10番はチームのエースがつける番号で、司令塔であると同時に得点力を兼ね備えるという、特別な役割の選手がつけるとされています。

サッカーのフォーメーションは数多くありますが、どのようなフォーメーションでも相手チームは背番号10番の選手を警戒して徹底的にマークします。
特に近代サッカーではトップ下のポジションは非常に重要で、いわゆる司令塔の働きが試合の結果を大きく左右します。

チームのエースであり、重要な役割を担う選手がつけるから「10番」は特別なのですが、では「なぜ特別な選手が背番号10番をつけるようになったのか?」実は、これには誰もが知る偉大な人物が大きく関わっているのです。

■神様ペレが背番号10番を特別にした

サッカーに詳しくない人でもペレという名前は聞いたことがあるのではないでしょうか。
本名エドソン・アランチス・ドゥ・ナシメント…愛称「ペレ」。実は、彼こそが背番号10番を特別な番号にしたんです。

1958年スウェーデンで開催されたFIFAワールドカップにペレが出場した際、その時の監督がペレに適当に割り振った背番号が、たまたま10番でした。そして、背番号10番をつけたペレがワールドカップで驚異的な活躍を見せたために「10番」の選手が注目されるという歴史がはじまったのです。
その後、ペレはサッカーブラジル代表のエースとしてFIFAワールドカップで3度の優勝に貢献し、現役22年間で通算1363試合に出場し1281得点を記録。

その偉業からペレは「サッカーの神様」と呼ばれるようになりました。

■背番号10番をつけたサッカーの名手

ここで、各国の代表として特別な番号である10番をつけた選手を、何人か紹介します。
いずれの選手も、伝説的な活躍から母国では英雄扱いされている人物です。

ジーコ

愛称ジーコ、本名アルトゥール・アントゥネス・コインブラ。
圧倒的なパスセンス、シュートの技術、世界最高と呼ばれたフリーキックの精度を持ち、その実力の高さから「白いペレ」とも呼ばれました。
ブラジル代表の司令塔として活躍し、72試合出場52ゴール(ペレに次ぐブラジル代表歴代2位の成績)を残しました。
日本の鹿島アントラーズでもプレーし、監督に転身してからは、同じく鹿島アントラーズの監督や日本代表監督を務めたことでお馴染みですよね。

マラドーナ

アルゼンチンの英雄、ディエゴ・マラドーナも10番を背負った伝説的な選手です。
天才的なテクニック・小柄ながら強靱な肉体・卓越したバランス感覚から繰り出す左足ドリブルでディフェンスを無効化し、驚異の得点力を誇りました。いわゆる「司令塔」ではなくフォワードタイプですが、10番を背負うのにふさわしい活躍を残しています。
セリエAのナポリでリーグ優勝や国際大会優勝に大きく貢献。アルゼンチン代表でも絶対的エースとして活躍し、1986年のワールドカップでは「神の手」ゴールと「5人抜き」ドリブルなどの伝説を残しながら、チームを優勝に導きました。

プラティニ

フランスを代表する10番で、「将軍」の異名を持つミシェル・プラティニ。
司令塔としてのセンスに優れ、変幻自在なパスで味方を使いチームの攻撃を組み立てることはもちろん、フリーキックやヘディングなどで得点することもできました。
フランス代表のエースとして出場した1984年のUEFA欧州選手権において、同国に初の国際タイトルをもたらし、通算では72試合出場41得点の成績を残しました。
なお、2016年現在はUEFA(欧州サッカー連盟)会長を務めています。

■サッカー日本代表での背番号10番

話題を我らが日本代表に移して、歴代10番はどのような変遷があったかを簡単に紹介していきましょう。

・ラモス瑠偉(1992年~1995年)

・名波浩(1996年~2000年)

・中村俊輔(2003年~2010年)

・香川真司(2011年~)

こうして振り返ると、やはりパスセンスと攻撃力を兼ね備えたスター選手が並んでいます。

さて、香川選手の次にはどんな選手が日本代表の10番を背負うのでしょうか。
ファンの間では「天才」と言われる宇佐美貴史選手、岡崎選手が移籍した後のマインツで活躍する武藤嘉紀選手、アーセナルへの移籍が決まった浅野拓磨選手、オーストリアのザウツブルグで奮闘している南野拓実選手など、才能ある若手の名前が数々挙げられています。
いずれにせよ、彼らが切磋琢磨して10番を目指す日本代表の将来が、今から楽しみですね。

ここからは、10番のことだけでなく、背番号全体に関わるうんちくを載せていきます。
暇な時間に読んで、サッカー観戦の際にドヤ顔で自慢できる知識を身に着けてしまいましょう。

■参考:サッカーユニフォームには背番号がなかった

現在では、サッカー選手のユニフォームに必ず背番号をつけるという決まりがあります。

では、「最初にユニフォームに背番号をつけたのはいつか?」というと、サッカー発祥の地イングランドで1928年に行われたアーセナル対チェルシー戦にまで遡ります。
この試合で選手はユニフォームに1~11の背番号をつけましたが、当時は背番号についてはルール化されておらず、背番号がルールで義務化されたのは1939年になってからのことです。

当時、サッカー選手の背番号は、最初はつけてもつけなくても自由で、特に重要なことではなかったわけです。

■参考:背番号は誰がどのような理由で決めるのか?

背番号は誰がどのような理由で割り振るのか、と疑問に思う方も多いかもしれません。

基本的にはどの選手がどの番号をつけるか、誰が割り振るか、ということに対して厳密な決まりはありません。
ですから、背番号の決め方は様々で、選手本人がつけたい背番号を希望する場合もあれば、たまたま空いている番号から選択する場合もありますし、チームや監督から指定される場合もあります。

とはいえ、長いサッカーの歴史の中では、前述した「10番はエースがつける」という例のように、ある程度は番号による役割のイメージといったものが定着しています。
そんな、現在の日本におけるポジションと番号に関するイメージを紹介していきましょう。

ポジションと番号のイメージ

・1番→ゴールキーパー

・2番→右サイドのディフェンダー

・3番→センターもしくは左サイドのディフェンダー

・4番→センターバック

・5番→守備的ミッドフィルダーもしくはセンターバック

・6番→左サイドのディフェンダーや守備的ミッドフィルダー

・7番→守備的ミッドフィルダーもしくは右サイドの攻撃的選手

・8番→攻撃的/守備的ミッドフィルダー

・9番→センターフォワード

・10番→攻撃的ミッドフィルダー(トップ下/司令塔)

・11番→左サイドの攻撃的選手

また、Jリーグにおける番号の規定も紹介します。
2番~11番までをフィールドプレーヤーに限定している以外は細かな決まりがなく、基本的に自由であることがお分かりいただけると思います。

Jリーグユニフォーム規定

どの選手がどの背番号をつけるかをJリーグに登録する必要があり、シーズン途中での変更は禁止です。
「1番」はゴールキーパー、「2番」~「11番」をフィールドプレーヤーがつけます。なお、「0番」は使用できません。
「12番」~「50番」までは自由番号ですが、多くの場合「12番」はサポーターが12番目の選手と言う慣習から、通常は欠番扱いになっているようです。

■国やクラブによっても意味合いは違う

エースとされている選手が10番の代わりに別の番号をつける国やクラブもあります。
例えばマンチェスター・ユナイテッドの場合は、クラブ最高の選手は伝統的に7番をつけます。
また、ドイツ代表の場合、エースの選手は13番をつけています。

他にも、オランダ代表やFCバルセロナで活躍し、トータルフットボールを世界に広めたサッカー界の偉人ヨハン・クライフは背番号は「14番」にこだわっていたり、ドイツ代表の伝説的なサッカー選手であるユルゲン・クリンスマンが「18番」を好んでつけていたりと、エースであっても10番を背負わない場合もあります。

いつかペレをも超える圧倒的な活躍をした選手が10番以外の数字を背中に背負っていた時に、もしかしたら10番が持つ意味合いも変わってくるかもしれませんね。