日本サッカーの岐路「ドーハの悲劇」とは

2017年9月6日

日本サッカーの岐路「ドーハの悲劇」とは

サッカーの長い歴史では、今までにいくつかの「悲劇」があり大きくマスコミでも報道されています。
そんな数多くの悲劇の中でも、日本サッカー界にとっては今回取り上げる「ドーハの悲劇」こそ、サッカーでの悲劇と言うのに当てはまると思います。
日本サッカーにおいて忘れられない出来事である「ドーハの悲劇」とは何だったのか、改めて解説していきましょう。

「ドーハの悲劇」の概要

世に伝えられる「ドーハの悲劇」が起きたのは、1993年10月28日、場所はカタールのドーハにあるアルアリ・スタジアムです。
試合は、日本対イラクのFIFA1994年アメリカワールドカップ・アジア地区最終予選でした。

日本はこの試合で勝利すれば予選通過が確定、一方のイラクは日本への勝利に加え他国の勝敗次第という状況。日本代表にとってもイラク代表チームにとっても極めて重要な一戦であり、どちらも負けられないという緊張の連続でした。

日本代表が1点リードした状態で後半ロスタイムに入り、試合終了のホイッスルが吹かれようとした、まさにその時に悲劇は起きました。
試合が終了する直前にイラクの同点ゴールが決まり試合はドローという結末。そして、日本のFIFAワールドカップ初出場の夢が消えるという、信じたくない悲劇が起きたのです。
サッカーだけではなく、全てのことに「たら・れば」がないのが世の中の常で、起きたことにはやり直しがききません。
それを承知の上で日本サッカー界に大きな爪痕を残したのがこの出来事で「ドーハの悲劇」として語り継がれています。

「ドーハの悲劇」の複雑な前提条件

この「ドーハの悲劇」が起こる前、日本は1次予選F組で最終予選に進みました。
最終予選はセントラル方式で6か国の総当たりリーグ戦、上位2か国がワールドカップに出場できるというシステムです。

日本はサウジアラビア戦を0-0で引き分け、第2戦のイラン戦を1-2で落とした時点で最下位に転落しましたが、第3戦で北朝鮮に勝利し、第4戦では韓国に三浦知良のゴールで1-0で勝利して、本戦出場に王手をかけました。
一方、イラクは1次予選のA組を首位で通過しました。最終予選では初戦の北朝鮮戦に敗れ、韓国戦を引き分け、イラン戦では初勝利を収め、サウジアラビア戦は引き分けでした。

第4戦が終了した時点で、首位の日本は勝てば文句無しで予選通過という有利な条件に思えましたが、引き分けではなく勝つことが条件という瀬戸際に立たされていたのです。
つまり日本代表は一見有利に見えるのですが、実は後がないと言う厳しい状況だったのです。
これに対しイラクは自力通過の可能性こそ潰えていましたが、他国の試合状況次第&日本戦での勝利で予選通過の可能性があるという微妙な位置でした。

「ドーハの悲劇」の経過と詳細

日本代表のフォーメーションは4-3-3で、先の韓国戦で出場した北澤豪の代わりに森保一がボランチのポジションにつきました。

試合が開始された5分後に長谷川健太のミドルシュートがクロスバーに当たり、バウンドしたボールを三浦知良がヘディングで押し込んで1点を先取するという上々の立ち上がりでした。これは勝てると誰もが思ったでしょう。
前半を1:0、日本のリードのままで後半に入り、イラクは55分にシュートを決め1-1の同点に追いつきました。

これは一大事と、今度は不安感が募り始めた69分に、日本はラモス瑠偉のスルーパスにオフサイドライン近くを抜け出した中山雅史が対応して、2点目のゴール決め、2-1と勝ち越しました。
試合はそのまま一進一退の激しい攻防戦が続きましたが、試合時間が残りわずかという89分50秒、ラモスのパスをカットしたイラクはコーナーキックのチャンスを得ました。イラクがコーナーキックを蹴る頃に時間は90分を過ぎ、アディショナルタイム(ロスタイム)に突入しました。

このイラクのコーナーキックを凌げば、日本の勝利はほぼ確実です。
イラクはここで奇襲戦法にでました。キッカーの選手は直接ゴール前にセンタリングをしないで、別の選手にパスすることを選択しました。
パスを受けたフセイン・カディム選手は対応に来た三浦知良選手をドリブルで抜き、ゴールへ向けて高めのパスを供給、それをオムラム・サルマン選手がヘディングシュート。
そして、そのボールがGK松永成立の頭上を越えて同点ゴールになったのです。

試合再開後ほどなくしてロスタイム終了。主審の笛が吹かれ、試合は2-2の同点引き分けで終了しました。
大半の日本代表選手はその場に座りこみ、動けませんでした。まさに悪夢とも言える悲劇的な結末になったのです。
ちなみに、FIFA1994年アメリカワールドカップでは、サウジアラビアと韓国が本大会への出場権を獲得しています。

「ドーハの悲劇」その後

この「ドーハの悲劇」を教訓に、日本サッカー協会では多くの話し合いが持たれ、選手の育成、ハーフタイム中の選手のメンタルケア、試合中の効果的な時間の稼ぎ方など、様々な方策が練られました。
その後の日本代表は、ワールドカップ予選やアジアカップなどで勝利を積み上げ、もはやドーハは悲劇の地ではないと言える程の飛躍的な進歩を成し遂げています。
この悲劇を忘れることなく、ロスタイムも全力で戦い抜くプレーにエールを送りたいと思います。頑張れニッポン!

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